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ももさへづり*やまと編*cent chants d'une chouette (Yamato*Japon)

タンカの森 ― ネット歌会で考えたこと

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トトロの森スオミの森に鎮守の杜青森杜子春ピアノの森へ


8月はずっと森の避暑地におります。リア森ではなくバーチャルの森、短歌人ネット歌会場の題詠の「」に滞在中です。

最後の週、わが家のポストに『短歌人』9月号が届きました。ぱっと開くと、国東杏蜜さんの「よむ」というエッセイが目に飛びこんで来ました。ちょうどその朝、歌会で「メルヘンチックな歌」という表現(山寺修象氏)を見たばかりで、両者が心の中でぶつかり、ぱちん!火花を起こしたのです。

エッセイの名手でもある国東さんの文章は、ネット調査の紹介から始まります。「本を読む時に頭の中で声が聞こえる人と聞こえない人がいる」― 聞こえる人が多数派で、そのなかにも「テキストが違っても同じ声派」と「さまざまな声色派」とが存在するのだとか。

歌人たる国東さんは、短歌にも「声の聞こえる歌」と「声の聞こえない歌」があるのではないか、あるいは、どんな短歌かを問わず「声の聞こえる派」と「聞こえない派」とに分かれるのではないか、と問いをふくらませます。さらに、読んで声が聞こえる人は短歌を作っている時でも声が聞こえる、と踏み込み、その声の生まれる時と場に思いを巡らせるのです。

まず、テキストを読む時に内なる声が聞こえるかどうか、考えてみましょう。ここでは、ブログをテキストとすると分かりやすいですね。はい、私にはブログからそれぞれの声が聞こえます。ブロガーさんが男性か女性かにもよりますし、中身にも左右されます。たまに男女を取り違えていたら、切り替え直後は混乱します。^^;

声の年齢は、ブロガーさんがかくありたいとイメージしている年齢のようで、概して想定実年齢より若々しい声に聞こえます。老成した文章からは、実際より落ち着いた声が聞き取れているかもしれません。お子さんなど、別の年齢の人のセリフが入ると、そこだけ声色は変わりますね。

外国では、対話型フォーラムブログもあります。メンバーの性別や性格によって、それぞれ違う声に聞こえます。一度、「貴女のコメントから聞こえる声は、アメリみたい」とコメントしたところ、「私は岸恵子世代よ!」とリコメされました。あるいは、皮肉屋だと思っていた元落下傘兵が実は冗談屋だと分かったら、耳の中のバスの声がテノールに変わりました。

テキストが短歌の場合はどうでしょう?お声を聞いたことのある歌人なら、その声で歌が聞こえてくることもあり、別の声をイメージすることもあります。歌会などで作者名が伏せられている時は、歌だけが手がかりです。急いでアンソロジーなどに目を通していると、それぞれの歌の声に耳を傾ける余裕がなくなってきます。朗誦から黙読への過渡期に生じたであろう、大きな変化に思いをはせるのは、そんな時です。


ここで一服。ジブリ映画に引用された妖怪たち
Hundred demons in animation-film inspired by emaki-scroll in the Muromachi period (16c.)


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「百鬼夜行絵巻」(真珠庵蔵、室町時代)『大妖怪展』(2016年)図録より
Night Parade of a Hundred Demons painted in the Muromachi period

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Moe1994年)より


さて、いわゆる「メルヘンチックな歌」からは、少女、ときには少年の声が聞こえてきます。歌人は歌の中で歳を取らずに生きることもできるらしい…いつだったか、これに気づいた時は不思議な気持ちになりました。

これは、いわゆる「乙女チック」の許される時代に青春を過ごした、ある世代以降に特有の事なのでしょうか。子供から大人へ、背伸びする時期に漫画誌『りぼん』(低年齢化前)やアート雑誌 Moe などがあった世代ならではの…

ここで「おとめ短歌」というキーワードを思いつき、ググってみたら、「短歌をとめ」という表現が見つかりました。短歌人会の蒔田さくら子さんのお歌です。
「草原情歌」歌声酒場にうたひけり素朴な短歌をとめなりし日(『短歌研究』2008年4月号)
「**をとめ」は万葉集にさかのぼる格調高い表現ですが、若草が匂い立つような、みずみずしい感性あふれるお歌です。

かくいう私も「メルヘンチックな歌」を詠みます。けれども、それが「時々」なのは、ベテラン歌人たる山寺氏のコメントによると、良くないことらしい…メルヘンチックである無しにかかわらず、歌人は自分自身の短歌の文体を早く確立すべきなのだと。

百の囀りをまねぶ「ももさへづり」の歌びと、snowdropは戸惑っています。短歌を届けたい相手によって、提出すべき選者によって、文体が変わるのは歌の幅を広げることにもなる、と思い込んでいたのですが…。

短歌の内容によって声色は違います。代詠なら、虫にも鳥にもなりますから、それらしき声で作歌します。大阪弁なら太めの声、京都弁なら高い声になります。

ときには歌物語を綴りますが、これも登場人物によって声色が変化します。喉の奥から、江戸時代の絵師やフェルメールのやりて婆の声が響いてくるときは、筆が進み(滑り?)ます。筆者自身とはかけ離れたキャラ達ですが…まるで俄かイタコ?むしろ「ガラカメ(ガラスの仮面)」気分…(ライターはときにアクターに通じると感じるのは、私だけでしょうか)

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子音と母音を引き裂くと歌われた事のあるキーボード(2019年)


もう一つ気になるのは、ブログ開設と同時に作歌を始めたため、パソコンでしか歌が詠めないことです。吟行帖に鉛筆で綴っても、推敲はキーボードで横書き(しばしば外国語タンカと並記するため)です。ピアノのように両手を使うほうが、脳細胞が適度に刺激されるのでしょうか。ローマ字入力や漢字変換の選択は実は遠回りなのですが…これもワープロ&パソコン世代特有のありかたでしょうか。えっ?今はスマホに親指入力の時代ですって?!スマホなら吟行もOKですものね!

思い出したのですが、10年以上前、英語の本を和訳したときは、パソコンで打ち込んだ文書を紙にプリントして推敲していました。心身ともにアナログからデジタルへの移行期にあったようです。今はすっかりデジタルっ子?いえいえ、スマホでメールも決済もしていない、デジタル難民です。

言の葉とデジタルの森で、新米歌人は踏み迷っているのでしょうか。皆さんはどんな風に短歌を詠み、文章を綴っているのでしょうか。知りたいです。

Summary*Do you hear a voice or voices when you compose tanka-poem? I always hear some voices from someone's or my own tanka. When I compose in place of a bird or insect, I hear bird or insect-like voices ! When I compose in dialects, the voice is different from that in common Japanese. And in foreign languages, an octave lower than that in Japanese! How about you? By the way, when I read blogs, I hear bloggers' voices. When I commented "Ton voix est comme celle de Ameri?", she replied, "Je suis de la génération de Keiko Kishi!" An ex-parachutist changed his voices when I noticed he was a gentle person.


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新米の稲田(2017年)
処暑 次候 天地始粛(てんちはじめてさむし)㊶(8/28~9/1ごろ)earth and sky begin to cool
処暑 末候 禾乃登(こくものすなわちみのる)㊷(9/2~9/6ごろ)the rice ripens
白露 初候 草露白(くさのつゆしろし)㊸(9/7~9/11ごろ)grass glisten with dew


今回はブログ3記事分くらい綴ってしまいました。。。


海の避暑がお好きな方はこちらへ(2014年の回想旅行)




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by snowdrop-nara | 2020-08-30 06:50 | | Comments(2)
Commented by milletti_naoko at 2020-09-04 18:38
たとえば独白風の小説の場合は、自分がこうかなあと思うその語り手の声で読んでいるような気もするのですが、さて実際のところは。今後意識してみたいと思います。

実際に日々を生きていく中で、言葉や話し方、声は場によって、話す相手や言語によっても変わるので(イタリア語で話すときは声が低くなります)、歌にもそんなふうに、内容に応じての表現の変化があってもよさそうに思うのですが、いろいろな考え方があるのでしょうね。

ドラえもんがアニメ化されたとき、ドラえもんの声が自分がずっと想像していたのとはまったく違う声だったので、ひどくとまどったのを、今でもよく覚えています。ドラマのシャーロック・ホームズの風貌もやはり自分の想像と違って驚きました。今は慣れたのですけれども。
Commented by snowdrop-nara at 2020-09-05 06:50
*なおこさんも、イタリア語で話す時は声が低くなるのですね。
私も、語学学校で日本人と日本語で話していたところ、
別の生徒に話しかけられフランス語で答えたら、
声が1オクターブ低くなって、我ながらびっくりしたことがあります。

なおこさんのブログは、なおこさんの肉声で聞こえてきます。
動画もある現代ならではですね!
イタリア語、公の場ではしっかりした低めのお声でしたが
ご主人と話しておられる時の愛らしい高めのお声も忘れられません。

イメージの声とアニメの声の落差を感じたのは、パタリロでしたっけ…
「誰が殺したクックロビン」の節回しも馴染めませんでした。
むかしは、漫画より本を読まないと想像力が衰える、と批判されたものですが
今では、漫画はアニメやゲームより想像力を働かせる余地がある、と評価されたりするのですから、隔世の感があります。

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