奈良の鹿ならでは…

奈良の鹿と人間の距離は、たとえば宮島の鹿との距離より近いようです。こんな風景が日常的というのは、奈良の鹿ならではかもしれません。でも、油断は禁物です。鹿はやはり野生動物、自分より背の低い幼児が相手だと、襲いかかることもあります。鹿同士でも、風邪を引いた仲間に噛みつく場面を見かけたことも。
鹿は人にはなつかないので、ペットにはできないと言います。ラップランドのトナカイは家畜化されていますが…。

鹿せんべいは小麦粉と米ヌカからできています。あくまでお八つで、主食の草の代わりにはなりません。人間の与える物は肉でもお菓子でも食べてしまうので、糞の性質が変わり、生態系に影響が出ているそうです。

お八つが貰えて奈良の鹿はいいな、と思っていましたが、彼らも苦労しています。食べ物の匂いにつられてビニール袋を食べてしまえば、胃袋が詰まって餓死します。交通事故や犬の襲撃とも隣り合わせです。奈良の鹿がよその鹿より小柄なのは、そんな暮らしの結果なのでしょう。

奈良の鹿は信号に合わせて横断歩道を渡る、と笑う人がいます。車の流れに合わせると自然にそうなるのでしょうが…一番後ろの鹿をご覧ください。ふり返って何かを見つめています。そこには散歩中の飼い犬の姿が…奈良の鹿ならではの苦労が、奇しくもワンショットに写りこみました。

鹿がとぐろを巻いています。草や葉など繊維質の多い食事をとる鹿は、多くの時間を反芻に費やします。退屈とは無縁の、シンプルで満ち足りた生き方かもしれません。厳しい環境に耐え自分らしく生きている鹿をまねびて、周りを広く深く見つめてゆければいいのですが…。
(2015,1,18)

この世にて最も気高き鹿をがまむ昔の絵師
の毛描きめでつつ
(このよにて もっとも けだかき しか おがまん むかしの えしの けがき めでつつ)
鹿の四季(角の変容)

春、奈良の鹿たちは草や花、木の枝葉など、食べられるものは何でも食べて栄養をつけます。下図の樹木は鹿に刈り込まれ(?)おかっぱ形になりました。ただし、馬酔木は馬や鹿の体を害するので食べ残されます。奈良の春日野や安芸の宮島に、馬酔木の森が多いのはそのためです。

秋の角きりで失われた鹿の角も、新しく生えてきます。初めは産毛が生えていて柔らかく、汗腺や神経、血も通っていて、袋角と呼ばれます。ちなみに、能面の「生成(なまなり)」(鬼に変わりかけた女性)にも袋角が生えています。

♥形がキュート
初夏、鹿の毛は冬毛から夏毛に生え変わり、美しい鹿の子模様がつややかな背中を彩ります。鹿の子の柄は個体によって異なり、一生変わりません。


この頃には、変わった形の角もよく見かけます。ユニコーンのように一角だったり、片方が縮れていたり、スヌーピーの耳のように垂れていたり…怪我や体調によるものだそうです。鎌倉時代の「春日権現験記絵巻」でも、片方の角が縮れた鹿がたまに描かれています(下の図版には含まれていません)。鹿の群れを変化をつけて描くために、よく観察したのでしょう。




緑滴る御寺の杜に坐せる鹿千年の
刻を喰みかへしをり
(みどりしたたる みてらの もりに ざせる しか ちとせの ときを はみかえし おり)

奈良盆地の夏、鹿たちも木陰や水辺や軒下で涼を取ります。三月堂の縁の下にも沢山の鹿が…

大仏池を縄張りとする鹿たちは、さらに快適な避暑ライフを満喫できます。暑くなると水に入って体を冷やし、水面いっぱいに広がる菱の葉や実を貪る暮らし。生まれ変わるなら、大仏池の鹿がよさそうです。

金いろの扇のかたちの黄葉し追ひて降
れる牝鹿の黒翳
(きんいろの おうぎの かたちの もみじばし おいて くだれる めじかの くろかげ)
秋、鹿の角切りを免れた牡鹿が、固くなった角を振り立てて興福寺境内を闊歩しています。ときに牡鹿は雌を求めて鳴きます。職場で初めてこの声を耳にした時はぎょっとしました。それほどよく通る、激しく独特な声なのです。古歌でうたわれれば風流なのですが…

さを鹿のこゑ霜野辺をつんざきて嬬の
ましろき胸毛響ます
(さおしかの こえ しものべを つんざきて つまの ましろき むなげ とよます)
牡鹿たちは「ぬた場」と呼ばれる沼地で泥を浴び、セックスアピールします。(これを汚れの染みついた老鹿と思いこんで餌を与える人を見ました。)牡同士が牝鹿をめぐって闘うこともよくあります。

こういう姿を見ても、鹿が野獣の一種だということが実感されます。彼らが野生を守りつつ、人の営みと調和した平穏な暮らしができることを願っています。


(All Rights Reserved)
子鹿の四季

奈良といえば鹿、近鉄奈良駅を出て東に歩き出せば、興福寺の伽藍とともに鹿の姿が見えてきます。鹿は春日の神の御使い、気品高くも愛らしい姿に人々は魅せられます。やがてその素顔が分かってくるのですが…
かつて筆者は、ミニゼミ主催の鹿の生態調査に参加したことがあります。そこで学んだ事柄もふまえて、鹿たちの四季をたどってみましょう。まずは子鹿から…

霜の飛火野、冷たく固い芝を母鹿が一心に食んでいます。餌の少ない季節、昨春生まれたのであれば哺乳期間の過ぎている子鹿が、母親からお乳をもらっています。
霜露の草にてわが身養はむわが子養ふ乳や
多かれ
(しもつゆの くさにて わがみ やしなわむ わがこ やしなう ちちや おおかれ)
霜雪の芝冷たかるらむ子の頭突きに腹痛む
らむ汝母鹿よ
(しもゆきの しば つめたかるらむ この づつきに はら いたむらむ なれ ははじかよ)

緑の深まる春から夏は、子育てに適した季節です。奈良公園の木々や枝垂れ桜が、おかっぱ形に整っているのをご存知でしょうか。これは鹿が首を伸ばしたり、後脚で立ったりして、食べられるだけ食べた結果の樹形なのです。日本ではおかっぱ桜、インドのガンジス河口ではdeer lineと呼ばれます。
おかっぱ桜たくみに剪定したるのは
人にしあらず鹿の食欲
(おかっぱざくら たくみに せんてい したるのは ひとにし あらず しかの しょくよく)

盛夏には、子鹿のひとり歩きも時どき見られるようになります。四肢に緊張がみなぎり、ぎくしゃくした足取り。怖がらなくても大丈夫よ…とつぶやきつつシャッターを切ります。カシャコーン! ああ、当時のカメラは音が大きかった…飛んで逃げてしまいました。
緑濃き大仏池のdébutante怖づ怖づ歩む
かぼそき蹄
(みどりこき だいぶついけの デビュタント おずおず あゆむ かぼそき ひづめ)

1994年の秋頃から、5月生まれの白い子鹿が話題を呼んでいました。春日山をのぞむ錦秋の境内に、神の化身のような灰白色の子鹿…じつは白い獣は突然変異の一種で、体は弱く、孤立しがちなうえ、過度の注目によるストレスも多くて短命なのだそうです。

春日鹿曼荼羅 奈良国立博物館 『日本美術と鹿』奈良県立美術館(1998)
春日神乗せし重みに其のいのち費やせるか
や真白き仔鹿
(かすがのかみ のせし おもみに そのいのち ついやせるかや ましろき こじか)

鹿寄せと田園交響楽
奈良公園の飛火野では、毎冬、餌の乏しくなった鹿たちを呼び集めて餌を与える「鹿寄せ」が行われます。1994年には1月にも見られました。

飛火野にナチュラルホルンの田園の響けば
鹿のrun-hopping
(とぶひのに なちゅらるほるんの でんえんの ひびけば しかの ラン ホッピング)

鹿の愛護協会の方が、ナチュラルホルンでベートーヴェンの田園交響楽の一節を吹き鳴らすと、鹿たちがわらわらと集まってきます。
もっとも、ホルンがなくても、餌を貰えそうだと思えば何十頭もの鹿たちが群がってくるのですが…

雪消沢の辺に残せるわが車
餌を期したる鹿に纏かれき
(ゆきげのさわの ほとりに のこせる わがくるま えさを ごしたる しかに まかれき)

牝鹿の尾さか立ち白し餌食みつつ身構へた
るは獣の本能
(めじかの お さかだち しろし えさ はみつつ みがまえたるは けものの ほんのう)

春日野尓 粟種有世伐 待鹿尓 継而行益乎 社師怨焉
春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し怨めし
(春日野に粟を蒔いてあったら、鹿を待ち伏せしに絶えず行くのだが、神の社が怨めしい)(佐伯赤麻呂 萬葉集巻三405)
春日野に蒔けるは粟か一粒をあらそひ闘ふ
牡鹿らもあり
(かすがのに まけるは あわか ひとつぶを あらそい たたかう おじからも あり)
(1994.1.7)
戒壇院の四天王像(二つの時代の対話)

法華堂(三月堂)を出て二月堂の前を通り、大仏殿の裏の坂道を戒壇院へと下ります。戒壇院四天王像をテーマに卒業論文を書いていた頃、このしずかな道を何度往復したでしょう。
天平時代の戒壇院は失われ、四天王像も他の堂から移安されましたが、これらの塑像には法華堂の日光・月光菩薩などときわめて近い様式が認められます。
四天王の目には黒い石が嵌めこまれています。のちの鎌倉時代には、ガラスを用いた玉眼という技法が発達するのですが、天平時代の石の瞳にも十分なリアリティがあります。

黒き石ふたつ光れり玉よりもきよく遥けき
眼力
(くろき いし ふたつ ひかれり ぎょくよりも きよく はるけき まなこの ちから)

鎌倉時代の仏師運慶が若き日に刻んだ大日如来像が、円成寺に伝わっています。その腰のしなやかな曲線を「ふるいつきたくなるような」と評したのが、『奈良六大寺大観』の著者のお一人でした。およそ二十年前の集中講義の思い出です。戒壇院の四天王の洗練されたプロポーションに、運慶もこれらの像を見ていたはずだと思えてきます。
ふるひつきたくなるやうな運慶の如来の腰
のみなもと此処に
(ふるいつきたくなる ような うんけいの にょらいの こしの みなもと ここに)

天平の土のほとけの白肌の雲母ほのかに汗
あえたるや
(てんぴょうの つちの ほとけの しらはだの きらら ほのかに あせあえたるや)

うつくしきもののふ腕さしあげてひとさし
舞へる調伏の楽
(うつくしき もののふ かいな さしあげて ひとさし まえる ちょうぶくの がく)
モデリングあらはに曝す白き像大理石の
ヌードにも似て
(もでりんぐ あらわに さらす しろき ぞう だいりせきの ぬーどにも にて)
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